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1月7日出発|中村みつをの川越まちなか超低山~2025年新春~
小江戸・川越サーキット・トレイル 日帰り

西武新宿線沿線で育ったので川越には電車一本で行けたが、出かけるようになったのはずっと大人になってからだった。ただ子どもの頃から川越大師喜多院のお守りがいつも家にあった。そして時々、父が買ってくる川越名物の最中が楽しみになっていた。6月、久しぶりにレトロな町並みの小江戸川越を訪れた。以前、川越城のあたりに「山っぽい」ところがあったのを思い出したからだった。川越城は長禄年間(1457~60年)に太田道真、道灌父子によって築城。当時の城郭は今の市役所から初雁公園に至る広大なものだった。現在残っているのは1848年に建てられた本丸御殿だけで、明治維新後に多くの堀は埋められ、土塁は取り壊されていた。初めて本丸御殿を見たときは、城というより立派な寺社を見ているような感じだった。平山城とはいえ、堀もなく、石垣もない。だがなんとも言えない凄みのような迫力が伝わってきた。近くにある三芳野神社に寄ってみる。天神さまと親しまれている境内の傍に木立に囲まれた高台が気になった。ちょうど社務所の向かい側になるところで、そこはかつての城の土塁と思われた。尾根道を登っていくとてっぺんに古びた東屋が忘れられたようにひっそりと建っていた。標高21メートル、三角点の標石もあった。惜しいかな山名はない。せっかくなので天神山としてみた。鎮守の森の天神さまから南西に行ったところに川越城の天守閣の代わりと言われた富士見櫓跡があった。まさに探していた山、古くから地元では「おんたけさん」と呼ばれた山だった。起伏の少ない町中に、高台などないだろうと思っていただけに、これが見事に裏切られた。高さ12メートルの、クスノキやイチョウの大木の茂った山がそこにあった。登山道は、直線とジグザグの石段道の2本になる。中腹に上がると、境内には花が生けられ御嶽神社と浅間神社が仲良く並んで祀られていた。奥に回り込むと黒ボクを重ねた上に富士見稲荷大神の石祠が鎮座。さらに尾根の末端にはひっそりと三峰神社の石碑が立てられている。まさに御嶽山と富士山、そして三峰山の三大スターの豪華顔合わせになっていた。標高24メートルの頂上に上がると涼やかな風が吹いていた。富士見櫓はとうの昔に失われ、今では自然の山に戻ったようだった。見事な町並みを眺めながら、川越にこうした見晴らしのよい山が変わりなくあることが何よりうれしく思えた。                   -中村みつをさん新著より抜粋-

出発日と料金

2025年出発日日数旅行代金催行状況
1月7日(火日帰り11,800円満席(お問合せください)

ツアー日程表

飛行機: 船: 専用車: 電車: 歩行:

1日目:1/7(火)川越駅東口 午前10:30時集合
集合後、小江戸川越に創建して約1000年の古社・川越八幡宮で初詣。川越サーキット・トレイルのスタートです。1590年に紀州熊野から分祀された川越熊野神社で参拝の後、大正浪漫夢通りを経由し、風凛へ。昼食後、川越のシンボル時の鐘を通り、わらべ歌「通りゃんせ」発祥の地とされる三芳野神社経由で川越城西南の隅櫓として築城当初に建てられた三重の櫓「富士見櫓」へ。階段を登ると頂上付近に御嶽神社と浅間神社が祀られており、冨士見稲荷大神が鎮座しています。五百羅漢、氷川神社古墳を経由し、赤ちゃんや花嫁さんの健康を祈る「初山祭」で知られる仙波浅間神社へ。富士塚の本殿や背後にある富士山の噴火口を表した聖地を見学します。最後は烏頭坂を登り、岸町熊野神社へ。富士塚ではなく、御嶽塚があります。JR川越駅へ戻り解散(16:30頃)。

注釈
  • 上記日程・発着時刻や訪問地は、天候、交通機関の都合、現地事情、歩行ペース等などにより変更されることがあります。
  • 上記歩行時間は一般コースタイムであり、休憩・食事時間は含みません。
  • 登山に不要な荷物は、バスまたは宿に預けられます。
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