川高 雄(かわたか ゆう)
1974年、川崎生まれで登山と競馬と麻雀好きで30歳まで小説家を目指していた父と富山生まれの母の元に次男として生まれる。
幼稚園で千葉県の西船橋、中山競馬場の近くに引っ越し。以降、千葉県船橋市で育つ。小学1年生で北アルプスの燕岳に登る。小学3年生で近所の友人の父の影響でラグビーを始め高校までラグビー部に所属。ラグビー歴10年で、15あるポジションのうち14を経験(ナンバーエイト以外)。2019年の日本でのラグビーワールドカップの際には、よなよなスポーツバーに繰り出し、見知らぬ人に自慢して歩いた。
高校時代の夢は京都大学に入り、文化人類学を学び、アメフト部で活躍したかったが、学力もお金も体力も気力もなくあきらめる。
関東の大学には魅力を感じず、結局受験科目が少なくて偏差値の高さだけで選んだ四谷の大学に1浪の末に入学したものの、大学の華やかな雰囲気になじめず、学内で唯一暗くカルト的な雰囲気の集団だった山岳部に入部。冬の利尻の仙法志稜の写真を手に山の魅力を語る部長に衝撃を受けた。
新歓合宿の劔岳の長次郎谷でへとへとになり、年間100日は山に入ることを決意。弱小山岳部ではあったが先輩や後輩、他大学の同期など仲間には恵まれ、大学三年生の時に不帰一峰尾根や夢枕獏作の『神々の山嶺』の鬼スラのモデルとなった谷川岳・一ノ倉沢滝沢第三スラブを3月に他大学の同期と登る。
その後に大学四年生のときに世界第7位の高峰ダウラギリI峰のペアルート第二登を目指す遠征隊に入れてもらい7,400mまで到達。雪崩に2回遭い、登頂を断念。結局4カ月近くネパールで過ごす。運で8,000m峰に登れたら登山ガイドになろうかなぁと甘い考えであったが、登れなかったため、就職を決意。
遠征前に内定をもらっていた生命保険会社は卒業できずに辞退。留年通知書が自宅についた時に、劔岳の北方稜線で雪崩に埋まり、300mほど流されて雪に埋まるが、奇跡的に助かる。以降は運でいただいた命だと思って力を抜いて人生を楽しむことを決意。
大学を5年で無事に卒業後、当時、他大学の山岳部出身の諸先輩が働いていることもあり新橋にあった老舗の山岳旅行社に入社。主に海外の企画と手配にかかわる。好きな国はノルウェーとフランス。2018年よりインバウンド(訪日)のアドベンチャーツアーも担当し手配をおこなう。23年間の勤務ののち、新型コロナウィルスの事業縮小を受けて退社。
2022年8月8日、株式会社『山と風』の創業メンバーに。トレッキングやハイキングを中心としたアドベンチャーツアーで世界を楽しくしたい。家族は職場で出会ったワンゲル出身の妻と子3人。